情報があふれる時代の、信頼という価値。マレーシアから見るASEAN GTM

商談が終わっても関係は途切れない——WhatsAppでの日常的なやり取りが信頼を育て、やがて買う理由そのものになる。情報があふれAIが答えを量産する時代にあって、人と人の信頼の価値はむしろ高まっている。マレーシアの大手企業でキャリアを重ね、現在は01GROWTHのマレーシアオフィスでGTMを率いるエラナ・ラズミが、マレーシアの本当の強みと落とし穴、関係性を軸にしたABM、そしてASEAN・中東進出で日本企業が見落としがちな勘所を語る。

最終更新:
July 22, 2026
Elana Radzmi
01GROWTH Sdn Bhd
Go-to-Market (GTM) Strategy Manager – Southeast Asia

商談が終わっても、関係は途切れない。WhatsAppのメッセージ、祝祭日の挨拶、何気ない近況確認。マレーシアでは、そうした継続的な関わりこそが信頼を育て、やがて買う理由そのものになっていく。情報があふれ、AIが答えを量産する時代にあって、人と人の信頼の価値はむしろ高まっている。

そう語るのは、弊社のマレーシアオフィスでGTM Strategy Managerとして働くエラナ・ラズミ。MAXIS、Toshiba T&D Systems Asia、FGV Holdingsなど、マレーシアの大手企業でキャリアを重ね、Toshiba T&D Systems Asia在籍時には日本・中東市場を含むブランドプレゼンスの構築を主導し、同社過去最高売上の達成に貢献した。品質管理からマーケティング、事業開発、広報・IRまで幅広い職能を横断してきた彼女に、マレーシアを起点としたASEAN・中東でのGTMについて話を聞いた。

Elana Radzmi  |  エラナ・ラズミ
Go-to-Market (GTM) Strategy Manager – Southeast Asiaグローバル環境で豊富な経験を持つ、ブランド・マーケティング戦略のスペシャリスト。緻密なリサーチと分析フレームワークを駆使し、事業の方向性を形作り、マーケットポジショニングを強化するインサイトを創出。MAXIS、Toshiba T&D Systems Asia、FGV Holdingsなどマレーシアのラージエンタープライズにてキャリアを構築。Toshiba T&D Systems Asia在籍時には、日本・中東市場を含むブランドプレゼンスの構築を主導し、同社過去最高売上の達成に貢献。2026年ゼロワングロース入社、GTM Strategy Managerとして主に東南アジア市場のリサーチ、および同地域への進出企業に対するGTM支援に従事。University of Malaya Graduate School of BusinessにてMBA取得。

複数のマレーシア大手企業でキャリアを重ね、日本・中東市場を含むGTMに携わってこられました。

日本企業がASEANに参入する際、最も大きな誤解は何だと感じますか

ASEANを一つの市場として捉えてしまうことです。東南アジアは一つの地域として語られがちですが、実際には各国それぞれに独自のビジネス文化、意思決定プロセス、コミュニケーションスタイル、顧客の期待があります。

例えばマレーシアは、インドネシア、ベトナム、タイとはまったく異なります。クアラルンプールで成功した戦略が、ジャカルタやホーチミンで同じように響くとは限りません。

同時に、現地での関係構築と市場エンゲージメントの重要性も見落とされがちです。日本企業はもともと関係性を重視しますが、ASEANでの関係の築き方は大きく異なります。コミュニケーションはより速く、よりインフォーマルで、継続的な関わりに依存します。私の経験では、成功する展開が実績ある日本モデルの単純な複製であることはほとんどありません。グローバルで一貫させるべきものと、現地に適応させるべきものを見極める。そこが起点だと思います。

多くの企業がマレーシアをASEANへの玄関口と捉えています。

マレーシアが本当に優位性を持つ領域はどこでしょうか

まず前提として、マレーシアはASEANの中でも安定した成長を続けている市場です。2025年の実質GDP成長率は5.2%、2026年も上半期で5.6%と前年同期の4.5%から加速しており、製造業、とりわけ電気・電子・光学製品が牽引しています(Trading Economics)。堅調な成長に加え、政治・社会の安定性、そして地震や台風といった大規模自然災害が極めて少ないという地理的な強みがあります。これは半導体工場やデータセンターのように、事業継続性と長期稼働が死活的に重要な産業にとって、非常に大きな意味を持ちます。実際、近年は大手グローバル企業による半導体・データセンター投資がマレーシアに集中しており、この立地優位性が数字にも表れています。

その上で、実務的な優位性がいくつもあります。多言語人材の厚み、確立された日系ビジネスのエコシステム、比較的競争力のある運営コスト、そして英語が広く通用するビジネス環境です。これらの要素により、地域統括機能の設置、GTM施策のパイロット、多文化チームの構築が容易になります。

人材面も、マレーシアの強みとして正当に評価されるべきだと思います。中位年齢は31歳台と若く、労働年齢人口が全体の約7割を占める、活力のある人口構成です(Worldometer)。加えて人口の8割近くが都市部に集積しているため(Worldometer)、事業の到達効率もチーム構築の効率も高い。そのうえで、長年にわたる教育投資と多国籍企業の集積を通じて、エンジニアリング、金融、デジタルの各領域で高度なプロフェッショナル層が育ってきました。多言語・多文化環境で育った人材が多く、地域全体を見渡すハブ機能を担ううえで適性が高いのです。

一方で、国ごとのローカライズが必要になるのはどのような点でしょうか

どの市場にもトレードオフはあります。製造業の労働コストはベトナムより高く、マスマーケット狙いの事業であればインドネシアの方が消費者規模ははるかに大きい。高度な地域トレジャリー機能やHQ機能が必要な企業は、シンガポールから始める選択もあるでしょう。マレーシアの価値は、コストの安さや市場規模の大きさそのものではなく、こうした要素のバランスの良さにあると捉えるのが実態に近いと思います。

そして最も強調したいのは、マレーシアをASEANへの近道と見なすべきではないということです。マレーシアでの成功が、そのまま地域全体での成功につながるわけではありません。消費者行動、ビジネス文化、購買プロセス、意思決定の力学、関係構築への期待は、国ごとに大きく異なり、それぞれにローカライズと国別の実行が求められます。私はよく、マレーシアを目的地ではなく発射台(launchpad)だと表現します。地域成長の強固な基盤にはなりますが、持続的なASEAN展開は、各市場をその市場固有の条件で理解できるかにかかっています。

マレーシアでの関係構築は、日本とどう違うのでしょうか

前提として、関係構築に時間と手間をかけるのはどの国でも同じです。マレーシアも例外ではありません。違うのは、その関係をどのチャネルで、どういうテンポで育てていくか、という点だと思います。

日本企業の場合、関係は一貫性、構造、長期的なコミットメントを通じて築かれることが多い。マレーシアでは、そこに加えて関わりの頻度、レスポンスの速さ、アクセスのしやすさが効いてきます。実務的にはWhatsAppのチャネルとしての強さが際立っていて、商談の合間もメッセージで軽くやり取りを続けるのが自然です。祝祭日の挨拶や何気ない近況確認も、しつこいとは受け取られず、むしろ関心と温かさの表れと見なされます。

ただ、いきなりWhatsAppでつながれるわけではありません。そこに行き着くまでの導線をどう設計するかが大事で、最初の接点から信頼できる相手だと認識してもらうまでのシナリオを描いておく必要があります。その意味で、コミュニティを起点に評判が広がっていくコミュニティ・レッド・グロース的な考え方も、この市場では有効に働くかもしれません。業界のネットワークや紹介の連鎖の中で存在を知ってもらい、自然な形で個別の関係に落とし込んでいく。マレーシアの商習慣とは相性が良いアプローチだと感じています。

外国企業は、関係性が自社のポジショニングに果たす役割を過小評価しがちです。マレーシアでは、関係の質そのものが価値提案の一部になることが少なくありません。買い手は製品やサービスだけを評価しているのではなく、その背後にいる人と信頼し合い、うまく協働できるかを評価しているのです。

マレーシアの意思決定について、日本企業が理解しておくべきことは何でしょうか

マレーシアでは、階層と影響力がより大きな役割を果たすことがあります。正式な承認権限は特定の個人にあっても、非公式な影響力は在籍の長い社員、尊敬される技術専門家、創業者、シニアアドバイザーから生じることがある。日本企業はコンセンサス型であることが多く、重要な意思決定には承認前に幅広いステークホルダーの合意形成を必要とします。ここが対照的です。

キャリアを通じて学んだ教訓の一つは、組織図は実際の意思決定プロセスを必ずしも映し出さない、ということです。正式な意思決定者だけに注目する企業は、キーとなるインフルエンサーを見落としかねません。

だからこそステークホルダー・マッピングが重要になります。購買力を理解するには、承認書類にサインする人物だけでなく、意思決定エコシステム全体を理解する必要があるのです。

日本とマレーシアで、業務プロセスはどう異なりますか

日本企業は非常にプロセス駆動型であることが多い。ステップ1、ステップ2、ステップ3と定められていれば、その手順を守る強い規律が働きます。

マレーシアのアプローチは少し異なり、ビジネスの場面や取り決めはコンテキスト駆動型と捉えられます。正式なプロセスは存在しますが、実行はニュアンス、ビジネス上の整合、緊急度、経営判断、あるいは礼儀といった要素に左右されます。文書化はされていないものの、組織内で暗黙のうちに共有されている、関係性に基づく実行がなされることもあります。とはいえ取引によっては、ステップ1(a)やステップ1(b)といった手順が業務プロセスの充足のために必要になる場合もあります。

だからこそ、市場を評価する際に正式な文書だけに頼るべきではありません。多くの組織は法務や規制の要因を重視する一方で、実行に影響する社会的・文化的な現実を見落としがちです。書かれたプロセスと、書かれざる業務文化の双方を理解することで、GTMの実効性は大きく高まります。

マレーシアのリスクに対する姿勢は、GTM実行にどう影響しますか

一般に、日本企業は徹底したデューデリジェンスと規律あるリスク管理で知られています。これは特に長期的な持続性の観点で多くの利点があります。一方マレーシアでは、リスクを異なる形で評価することが多い。よくある発想は、まず試せないか、というものです。いきなり大型投資に踏み切るのではなく、パイロットプロジェクト、概念実証(PoC)、段階的な取り組みを好む企業が多い。慎重ではあるけれど、スケールする前に試して検証することにより前向き、と言えます。

東芝時代の経験を一つ共有させてください。新製品をマレーシア市場に導入する機会を得たときのことです。その製品はUAEで製造され、マレーシアの仕様に合わせて調整されたものでした。技術要件はよく整合していたのですが、商談で最も難しかったのは、供給者である私たちと、エンドユーザーであるマレーシアの国営電力会社Tenaga Nasional Berhad(TNB)との間で、文化的ニュアンスを橋渡しし、信頼を築くことでした。結果として、当初想定より長い実地トライアルが必要となりました。

変化に対する姿勢の違いが、そのままリスクへの姿勢に影響し、GTM実行は当初の想定以上に難しくなりました。この経験から得た教訓があるとすれば、それは関係性を軸に据えたGTMの重要性は、いくら強調してもし過ぎることはない、ということです。強固なつながりは不確実性を減らし、買い手の自信を育て、評価段階から実行段階へと進むために必要な確信を生み出します。

中東市場にも携わってこられました。

日本企業が中東を含む新しい市場に踏み出すとき、最も大きな過ちは何だと感じますか

最大の過ちの一つは、製品の成功が自動的に市場の成功を生むと思い込むことです。事業開発の経験を通じて学んだのは、顧客が製品が優れているからという理由だけで買うことはめったにない、ということです。

外国企業には、文化的ニュアンスを的確に読み取る力が求められます。例えば、ある食品で成功を収めた大手企業がマレーシア進出を決めた事例を目にしました。しかしパイロット段階すら完了できませんでした。製品の風味が現地の消費者の嗜好に合わなかったのです。品質が高く、説得力ある価値提案を備えた製品であっても、現地の消費者嗜好や文化的ニュアンスへの理解が不十分であれば苦戦しうる。そういうことです。

日本と中東、そしてASEANのように、コミュニケーションの前提が異なる市場をまたぐと、この理解の橋渡しがなおさら効いてきます。何を提供するかと同じくらい、そのメッセージがどう伝わり、どう受け取られるかが結果を左右します。

幅広い職能を横断してきた経験は、GTM戦略への視点をどう形づくりましたか

複数の職能をまたいできて学んだ最も重要な教訓は、GTMとは単に製品やサービスを市場に投入することではない、ということです。GTMの本質は、異なるステークホルダー、ビジネス文化、仕事の進め方の間に橋を架けることにあります。たとえ双方が同じ商業目標を共有していても、コミュニケーションスタイルや意思決定の進め方、ビジネス上の期待の違いが、適切に管理されなければ摩擦を生みます。

一つ例を挙げます。日本メーカーのSCADAシステムを、マレーシアで事業を営むインド系企業に紹介したときのことです。両者のコミュニケーションスタイルが大きく異なることに気づきました。一方が投げかける詳細な質問や懸念は、相手には対立的に映りましたが、実際には単に慎重で綿密なだけでした。もう一方はそれをほとんど個人的に受け止めてしまい、事態は誤解へと発展しかけました。

このとき私は、両者の間で橋渡し役・仲介役を務めました。それぞれのコミュニケーションスタイルの背後にある意図を理解し、互いの視点を解釈する手助けをすることで、文化的ニュアンスを乗り越え、商談を軌道に乗せ続けられたのです。成功するGTMは売ること以上に、ステークホルダー間の理解、整合、確信を生み出すことだ。この経験がその実感を強めてくれました。

関係性を軸にしたGTMやABMのアプローチが、ASEANのB2B市場でとりわけ有効だと感じるのはなぜですか

関係性を軸にしたGTMはASEANで常に重要でしたが、エージェンティックAIの時代においてはさらに重要になっていると感じます。AI生成コンテンツが一般化するにつれ、買い手はかつてないほど大量の情報に触れています。もはや課題は情報へのアクセスではなく、どの情報が信頼できるかを見極めることです。

ASEANの多くのB2B市場では、重要な購買判断が今なお、紹介、評判、ステークホルダーの信頼、信頼関係によって左右されています。購買委員会は戦略的投資に踏み切る前に、同業者、パートナー、業界ネットワークからの裏付けを求めることが多い。導入リスクや長期的なパートナーシップが重要となる高額ソリューションでは、特にその傾向が強くなります。

だからこそABM(アカウント・ベースド・マーケティング)がこの地域で有効なのだと思います。ABMは、量的なリード獲得ではなく、戦略アカウント、ステークホルダー・エンゲージメント、信頼構築に焦点を当てる点で、実際のビジネスの進み方を映し出しています。多くの場合、信頼できる紹介や第三者の推薦は、大規模なマーケティングキャンペーン以上のインパクトを生みます。

皮肉なことに、AIが普及するほど、人間の信頼性の価値は高まります。最も効果的なGTM戦略とは、AIを活用して効率とスケールを高めつつ、最終的に購買判断を動かす人間同士の信頼を保ち続けるものになるでしょう。

マレーシアという国の政策は、進出を検討する外国企業をどう支援していますか

マレーシアはASEANの中でも、外国直接投資(FDI)を成長の原動力として積極的に位置づけている国の一つです。政府はAIインフラ、先端データセンター、デジタル技術といった高付加価値領域への外国投資誘致に力を入れており、進出企業を支えるインフラや産業拠点の整備も進んでいます。税制優遇、機械類の免税輸入、現地R&D支出への税額控除など、活用できる支援メニューも充実しています。地域経済統合や越境投資の推進においても、ASEAN内での立ち位置を積極的に活かそうとしている印象です。

人材の観点でも、政府は教育と人材育成への投資を継続しており、高度スキル層の育成で着実な成果を上げてきました。もちろん、成長産業が集まる中で優秀な人材の獲得競争は激しく、現地のプロフェッショナルの需要は高い水準にあります。裏を返せば、それだけ質の高い人材プールが形成されているということでもあり、進出企業にとっては現地チームを核に据えた展開が十分に可能な環境が整いつつあると思います。

最後に、キャリアを通じて変わらない信念があれば

日系企業と多国籍企業の双方で、そしてASEANと中東という異なる市場で働いてきて、変わらない教訓が一つあります。それは、ビジネスは人と人が行うものだ、ということです。市場も、政策も、テクノロジーも進化し続けますが、現地の実情を理解し、信用を築き、意味ある関係を育むことは、成功する展開の中心にあり続けます。