Go-to-Market Summit London 2025 参加レポート
July 15, 2025
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成熟企業におけるGTMの再構築:Nasdaqが示す再現可能なローンチの条件

Go-to-Market Summit London 2025では、世界中のGTMリーダーが集い、成長戦略と市場投入プロセスの最前線が共有されました。本稿では、Nasdaqでグローバルな新製品ローンチを統括するMatthew Brunwin氏(Senior Director, Go-To-Market)のセッションについてレポートします。Nasdaqは市場名としてのイメージが強いですが、実際には多数のテクノロジーやデジタルプロダクトを提供しています。
Brunwin氏は、eVestment買収(7億ドル超)を経てNasdaqに参画後、複数の事業部門(総売上20億ドル以上)で新製品・地域展開・パートナーシップのローンチを横断的に支援してきました。B2Bスケールアップ/グロウンアップ企業におけるGTMの最適化に長け、自身が主導した成功と失敗の両事例に基づき、成熟企業に特有の構造的課題と、それを乗り越えるフレームワーク主導のGTM設計を明快に解説しました。GTMリーダーのみならず、プロダクト、営業、マーケティングの全実務者にとって、即実践可能な知見が凝縮されたセッションとなりました。
1. はじめに:なぜ新製品は売れなかったのか?
セッションは、Brunwin氏が2020年に経験した新製品のローンチ失敗事例から始まりました。数ヶ月の開発を経て、ローカル営業チームと共に製品を市場投入。直後には業界大手から数百万ドル規模の商談パイプラインが形成され、社内の期待は高まりました。
しかし、半年も経たないうちにパイプラインはほぼ消失。獲得できた顧客に共通項は見出せず、営業活動の方向性は不明瞭になり、組織全体が「何が問題だったのか」を把握できないまま混乱に陥ったと振り返ります。
この状況で顕在化したのは、部門間の断絶と責任の不在でした。プロダクト部門は営業の動きを、営業はマーケティング施策の不備を、そしてマーケティングは製品自体の問題を指摘するという“典型的な責任のなすり付け合い”が発生。結果として、真の原因究明や再構築に向けた動きは生まれなかったのです。
Brunwin氏は、この失敗の本質を次のように総括しました。
「問題は製品そのものでも、営業の能力でもない。GTM(Go-to-Market)戦略とプロセスが全社的に設計されておらず、体系的なアプローチが存在しなかったことが根本原因だった」
製品が完成すれば自然と売れるという思い込み、すなわち“ビルド・イット幻想(Build-it-and-they-will-come)”に組織全体が陥っていたことが、最大の障害だったのです。この事例は、本セッションの基調となる問い「なぜ優れた製品でも売れないのか?」に対する問題提起として、聴講者の関心を引き込みました。
2. 成熟企業が抱える構造的課題と“セカンド・プロダクト・シンドローム”
Brunwin氏は、成熟企業における新製品ローンチの難しさを、Appleの創業者スティーブ・ジョブズが用いた「セカンド・プロダクト・シンドローム」という概念を引いて紹介しました。これは、初期の成功体験に固執するあまり、その後のイノベーションで同様の成果を再現できなくなる組織的ジレンマを指します。
この問題は単なる偶然や運ではなく、成熟した組織が共通して抱える構造的な課題に根差していると、Brunwin氏は指摘します。
① 過去の成功に基づく過信と意思決定の硬直化
一度大きな成功を経験すると、「同じようにやればまたうまくいく」という暗黙の前提が組織内に浸透します。その結果、次のローンチでは市場や顧客の変化を十分に検証せず、形式的な計画と限られた関係者だけで進行しがちです。これは柔軟なイテレーションを阻害し、組織の適応力を著しく低下させます。
② 製品ライン・地域・顧客タイプの多様化による複雑性の増大
成熟企業はすでに多様な事業ポートフォリオ、グローバル展開、様々な顧客層を抱えています。そのため、単一製品の投入であっても、関係するチャネルや部門が複雑に絡み合います。この多層的構造が意思決定を鈍化させ、リソース配分や優先順位の明確化を困難にし、結果として調整不足とスピード感の喪失が常態化します。
③ プロセスと責任の断絶:誰が何をいつやるのかが曖昧
多くの組織では、GTM活動が「製品部門が企画し、営業・マーケティング部門が展開する」というリレー形式で運用されています。このような構造では、プロセス全体の責任者が不在になりやすく、タイミング・役割・成果基準が共有されないまま進行してしまいます。この“断絶されたオペレーション”により、ローンチ直前や実施中に混乱が生じ、組織は再び“誰のせいか”という不毛な議論に時間を浪費するのです。
成功を阻む構造の本質
Brunwin氏は、これらの問題を包括的に「GTM活動における体系的フレームワークの不在」と位置づけました。
- 部門横断的な整合性がない
- GTMプランニングの開始が遅すぎる
- 成功の再現条件が設計されていない
- 意思決定が属人的で個人に依存している
このような状況では、どれだけ優れた製品を開発しても、再現可能かつスケーラブルなローンチには繋がらないというのが、Brunwin氏の一貫した主張です。
解決策①:GTMファンクションの再設計と責任の明確化
Nasdaqでは、従来の「製品開発 → 営業展開」というリレー型のモデルから脱却し、Go-To-Market(GTM)機能そのものを組織の中核に据える再設計を行いました。特に注目すべきは、プロダクト・マーケティング・営業の“間”にGTM専任チーム(ファンクション)を設置したことです。この構造改革により、GTMは単なるサポート役ではなく、製品ローンチ全体を主導する専門組織としての役割を担うようになりました。
① プロセス全体に対する“真のオーナーシップ”の確立
Brunwin氏は「GTMはTo-Doリストではない」と断言します。多くの企業では、GTMはタスクベースで実行され、資料作成や営業研修といったアウトプットの消化に終始しがちです。一方、NasdaqのGTMファンクションは、ローンチ全体の設計・検証・改善を主導する“プロセスオーナー”として位置づけられています。製品の専門家が「何を作るか」を担うのに対し、GTMチームは「どう届けるか」を設計し、市場での成功を成立させるプロフェッショナルとして機能します。
② “調整役”としての異議申し立てと介入力の発揮
GTMチームのもう一つの重要な機能は、社内における“異議申し立てができる立場”であることです。Brunwin氏は、「競合に対し99%勝っている」といった根拠の曖昧な主張を例に挙げ、GTM担当者は製品部門や営業部門の思い込みに対し、現実的な問いを投げかける“ファクトベースの挑戦者”でなければならないと強調しました。この立ち位置が、製品仮説の健全な検証を促し、意思決定の質を高める要となるのです。
③ “ローンチとは何か”を再定義する基盤整備
多くの企業で見られる「完成品を引き渡し、後は営業に任せる」という直線的なモデルでは、整合性や成果の再現性は確保できません。Nasdaqではこの点に着目し、GTMの基本設計そのものを見直しました。
- 何が成功とみなされるのか(Success Criteria)
- どのタイミングで何を行うのか(フェーズとゲートの設計)
- 誰が何に責任を持つのか(役割とオーナーシップの明確化)
これらの基礎的フレームワークを構築し、GTMを「ローンチ=イベント」から「ローンチ=プロセス」へと昇華させました。これにより、各チームが早期から関与できる環境が整備され、組織横断的な連携が実現しました。
解決策②:GTM Lift Assessmentによるローンチ難易度の可視化
製品ローンチの成否を分ける鍵は、「その市場投入が自社にとってどれほどの組織的負荷(Lift)を伴うか」を正確に把握することです。NasdaqのGTMチームは、この問いに取り組むため、製品開発の初期段階で導入する診断ツール「GTM Lift Assessment」を構築しました。
GTM Lift Assessmentの目的
このアセスメントは、属人的な直感や経験則に頼らず、構造的・定量的な評価によってローンチの難易度を可視化することを目的とします。
- GTMチームの作業量(Lift)の定量化:営業、マーケティング等に必要な準備・調整・トレーニングの度合いをスコア化する。
- 必要な投資・組織変更の見積もり:既存チャネルで対応可能か、新たなインセンティブ設計やチャネル開拓が必要かを把握する。
- 自社の勝ち筋(Right to Win)の検証:ブランド認知、既存顧客接点、バイヤー理解の観点から、自社がその市場で「成功するに足る存在か」を評価する。
評価方法と観点
アセスメントは、製品マーケティングと営業リーダーが共同でスコアリングを行い、以下の評価軸を用います。
実例:CTO向け製品ローンチにおける評価
ある事業部が「データ構造化・クレンジング技術」の新製品を開発した際、これまでの強みはヘッジファンド向けの“データ販売”であり、新製品のターゲットであるCTO(技術責任者)との接点や理解がほぼ皆無であることが判明。この分野でのブランド認知も低く、「現時点ではRight to Win(勝つ権利)が低い」と判断されました。その結果、営業教育、チャネル再構築、メッセージング刷新といった対策が事前に必要だと明確になり、組織は的確な準備を下すことができました。
このアセスメントは、無謀なローンチを回避し、準備項目を明確化し、「意図的なローンチ文化」を醸成するという変化をもたらしました。Brunwin氏は、「この問いを今突きつけるのか、6ヶ月後の失敗という形で突きつけられるのか。選ぶのは今だ」と語り、プロセス初期での構造的な問い直しの重要性を訴えました。
解決策③:ターゲットの絞り込みと段階的スケーリング戦略
GTM Lift Assessmentでローンチの難易度を可視化した後、Brunwin氏のチームは、ターゲット顧客の精緻化(ICP再定義)と、段階的な市場展開に着手しました。これは、過去の失敗で「対象市場が広すぎる」「営業がバラバラに動く」といった問題に直面した経験から導入されたものです。
ICP(Ideal Customer Profile)の再定義
失敗したローンチでは、「既存顧客にアセットオーナーが多いから」という理由で、“アセットオーナー全体”という広すぎるターゲティングを行っていました。これを教訓に、次のプロダクトでは以下のような精緻なICPを策定しました。
- 地域:米国(US)国内に限定
- 顧客タイプ:公共性の高い年金基金・大学財団
- 条件:AUM(運用資産額)が一定以上
- 心理特性(サイコグラフィック):
- 高パフォーマンスの機関は透明性を好み、ベンチマーク利用に前向き
- パブリックデータで機関情報が可視化されており、営業精度を高められる
属性だけでなく、動機や行動傾向を含む設計により、極めて精度の高いターゲティングが可能になりました。
販売アプローチの転換:「まず使ってもらう」戦術
新製品はデータの網羅性や透明性で優れていましたが、ツール自体への顧客の理解度にはばらつきがありました。そのため、「まず売る」スタイルではなく、無料トライアルやパイロット導入を優先する“体験重視”の戦術を採用。これにより、顧客は導入のハードル低く価値を実感でき、製品そのものがセールスの説得力を担保する形が実現しました。
成果:6ヶ月で年間売上目標を達成
この精緻なターゲティングとスモールスケールでのローンチ戦略により、製品はローンチからわずか6ヶ月で年間目標を達成。重要なのは、ポジショニング、営業戦略、プロダクト開発の各部門が同一の顧客像と成功定義に基づいて動けたことです。これにより、単発のヒットではなく、再現可能なGTMプロセスとして組織内に定着しました。
解決策④:段階的実証プロセスの実装
Brunwin氏は、ローンチ成功の鍵として「段階的な市場検証プロセス」を挙げ、スタートアップ向けに開発されたモデルを成熟企業に応用しました。製品の成熟度に応じたGTMアプローチを設計し、複雑性の高い大企業にこそこの考え方が必要だと強調します。
“飛び級”での全国展開が招く危機
多くの大企業では、製品が完成すると既存の営業チームを一斉動員し、「ビッグバン型ローンチ」を行うのが一般的です。しかし、このアプローチはProduct-Market Fit(PMF)や営業の再現性が未検証のまま拡大するため、問題が顕在化した頃には軌道修正が極めて困難になるリスクを伴います。
GTMマトリクスに基づく段階的な市場検証
このリスクを回避するため、以下の4つのフェーズを順に通過し、製品と営業の両面でフィットを確認するプロセスを実装しました。
- Pilot Launch(パイロット導入)
- 少人数のチームで市場に投入し、顧客の初期反応や利用傾向を観察する。
- Prove Value(価値の証明)
- 顧客が製品価値を実感し、継続利用や再契約に至るかを定量・定性で把握する。
- Prove GTM Fit(GTMの有効性の実証)
- セールスが再現可能か、提案内容やチャネルが効果的に機能しているかを検証する。
- Scale with Confidence(自信を持ってスケール)
- 上記3フェーズを通過した後にのみ、全社展開や他セグメントへの拡大を実行する。
Brunwin氏は、「多くの成熟企業は、大きなセールスリソースを持つがゆえに段階的検証の重要性を見落としている。しかし、その規模こそが失敗を拡大させる要因になりうる」と語り、組織の複雑性が高い成熟企業にこそ“可視化された段階設計”が不可欠であると訴えました。
解決策⑤:小規模GTMチームによるパイロット型ローンチ
成熟企業におけるローンチの障壁の一つは、ローンチ後に大量のフィードバックが殺到し、何が正しい市場反応か判断できず、製品改善が止まってしまう“ローンチ後の麻痺状態”です。この課題に対応するため、Brunwin氏の組織では、最小構成のGTMチームによるパイロット型ローンチを標準アプローチとしています。
小規模構成による集中型ローンチ
ローンチ初期は、以下の最小限のGTMチームで実施します。
- 営業担当(1〜2名):対象市場への深い理解を持つ担当者
- プロダクトマネージャー(1名):市場のインサイト収集と製品改善を主導
- サポート担当(1名):顧客の利用状況と反応を最前線で観察
この構成により、現場のインサイトを迅速かつ高解像度で取得し、製品やメッセージングの即時調整が可能になります。
成功基準の明文化と意思決定の透明化
パイロット導入に際しては、「この市場での成功とは何か」を事前に合意することを徹底します。これには、初期ユーザーの継続利用率や有償契約への転換率といった定量的・定性的なKPIが含まれ、感覚的な判断ではなく、明確な指標に基づく評価が可能となります。
「まず検証、拡大は後」——段階的拡張の徹底
最初のパイロット市場での成果を基に、他地域や他セグメントへの展開は“あくまで次のステップ”として評価されます。「製品が動き出すとすぐに他地域への展開リクエストが来るが、それを抑えて判断できる体制が重要だ」とBrunwin氏は強調しました。このアプローチにより、組織はフィードバックの“質”を重視する文化を醸成し、イテレーション速度を高めることに成功しました。
8. まとめ:成熟企業におけるGTMの3つの鉄則
セッションの最後に、Brunwin氏は成熟企業がGTMを成功させるために不可欠な3つの原則を提示しました。これらは、複雑な組織構造を持つ企業だからこそ必要な“GTMの基盤思考”です。
1. 紙の上で整合性を取れ(Align on Paper)
GTMに関わる全部門の責任範囲、期待値、役割、タイミングを事前に文書化し、合意する。ローンチの定義、成功の測定方法、誰がいつ動くのかを共通理解とすることで、「分かっているつもり」をなくし、構造を共有した状態でスタートする。
2. 意図的に設計せよ(Be Intentional from the Start)
GTMはローンチの“後”から始まるものではない。製品開発の初期段階から「誰に」「何を」「なぜ届けるのか」を問い、市場との繋がりや販売の仕組みを意識した構造設計を行う。これにより、ローンチ後の混乱を防ぎ、チーム全体が一枚岩で動ける状態を作る。
3. 変数を制御せよ(Control Your Variables)
市場投入時の“変数”を意図的に制御する。「誰に売るのか(ICP)」「誰が売るのか(営業体制)」「どう売るのか(セールスモーション)」を最小化・明確化する。特に、過去の成功に安易に頼らず、ゼロベースでターゲティングを行い、検証のイテレーションループを高速で回せる体制が成功の鍵となる。
Brunwin氏は、「私たちがGTMに成功したと思えるときは、部門を超えた一体感と、再現可能なプロセスが確立できたときだ」と総括しました。GTMを単なる販促活動ではなく、戦略そのものであり、組織的ケイパビリティとして設計・運用されるべき中核機能として捉えること。この意識転換こそが、成熟企業がイノベーションを再現可能な成長に繋げる鍵であると、力強く提示されたセッションでした。